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家への帰り路に考えることのあれこれ。

ねこと家族についての備忘録。

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「人間、暇だとロクなことをしない。」
それが口癖だった母は、もうかれこれ10年前のこと。 

長女が変な男と付き合ったり、長男がグレたり、次男がエッチなサイトの架空請求に本気でビビったり、そんな時代。
かくいう僕は、ロクでもないことすら出来なかった小学生だった気がします。 

 そんな母の口癖はやっぱり的を射ていたみたい。
だって末っ子3男の僕はいい年にもなって、3連休の予定が無くなった途端に、自分大好き人間にしか書けないこんなブログを書いているのだから。

でもきっと、「12」の僕はまだロクでもないことすら出来なかった中学生でもあったから、そのころと比べると少しはマシになったかな。

ということで、後半で少し僕の半生について振り返ります。

 

 

 

 

 

 

 

さて、本題です。

 

 

 

 

 

 

 

家族っていいですよね。

 

 

 

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(左から、次男→長男→三男、父→長女と甥→母@実家の居間)

 

クラウドファンディングを始めて、本当にいろんな人からの支えを感じたからこそ、改めて思うわけです。家族の尊さを。
別に特別仲が良いわけじゃないし、全員が揃うことなんてほとんどない。
この写真取った時(2年前)だって、7,8年ぶりくらいの全員集合。
それぞれの我が強くて全然話が合わないけどなんとか家族としてやってる、そんなメンバー。
「まともなやつ」が誰もいないので、母は家族のことを「アダムスファミリー」と呼びます。

 

それでも、お互いにいつもどこかで気に掛け合っていて、
両親は子供のことをいつも真剣に考えている。
いい加減に子離れして欲しいけど、親ってそんなものなんですかね。
少なくとも、僕はそういう親でいたいな。
(絶対に子供には嫌われるけど)

 

改めて家族について考えるようになった理由は明確。

NECO STANDのクラウドファンディングです。

もう説明した通りですが、普段はほとんど顔も合わせないし、正月だって全員揃わない。
でも、僕のクラウドファンディングを知って、
5人が5人とも、それぞれの形で応援してくれたんです。

本当に嬉しかった。家族が繋がったことも嬉しかったけど、そのきっかけがねこであったことが何よりも嬉しかった。

家族全員、僕と同じくらいのねこ好き。むしろ彼らのせいで僕はねこに人生を振り回されることになったというのが正しい。だから、いつもはバラバラな家族だけど、ねこのことに関しては、きっと同じことを感じるんです。

 

ここまで書いて初めて思ったのは、黛家の共通項の一つに「ねこ」があるということ。
逆に捉えると、「ねこ」は家族や生活、暮らし全般を構成する大きなファクターになり得るともいえる。家に早く帰る理由や休日を家で過ごす理由が、ねこだって良いわけです。

 

なるほど。いい気づきだな。


こうした何気ない発見が、次の活動に大切なヒントになる。
今回は、「ねこ×暮らし」という最近の僕のなかでの命題に迫る思いがけないヒントになったわけ。どうやら人間、暇でも少しは意味のあることを出来るらしいよ、お母さん。

 

 

雑な流れですが、そんな、遺伝子レベルで「ねこな家族」を簡単に説明させてください。
(なんか、説明したい気分なんです)

 

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はい。そうです。父です。
いや、お酒飲んでないです。
ええ、シラフです。
ZOZOスーツで、少しテンション上がってるだけです。平常運転です。
僕の陽気な部分は、多分父から濃く受け継ぎました。
女性との接し方も、父の背中を見て学びました。
父が地元のスーパーでレジに並ぶと、
おばちゃんたちが「休止中」のレジを瞬時に稼働させます。
そんな父は、19歳の頃に左腕を失いました。それから今までの40年間、右腕だけでなんでもやってきました。いまでは料理も裁縫も出来るんだから、やっぱり敵いません。
それでもやっぱり、写真では自然と左腕を隠してる。
理由を聞いたら、「見た人が嫌な気分になるだろ?」って。
なんとも言えなかったので、「ふーん」って生返事だけ返しておきました。
私が、右利きにも関わらず右腕に腕時計を着けているのは、そんな父への敬意を忘れないようにするためです。
(父はいつも右腕に、僕が高校生の頃に上げたスポーツウォッチを着けています 照)
 いつもは親しみを込めて「じじい」と呼んでいます。

 

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 母です。
眼鏡を取るともう少し目が大きいです。
これは、初任給を使って大きな花束を買った日の写真です。
母の日も近かったので一緒にしちゃいましたが、これでも親孝行のつもりです。
でも母はいつも「要らないよ~」と迷惑そうに言います。照れ隠しだと信じて、高校生の頃から節目の時には、プレゼントを贈り続けていました。
最近は、その分を甥っ子に回すと喜ぶので、そうしています。
大人になるまで、母のすごさには気づきませんでした。
身体障碍者の妻となり、4児の母として立派に役目を果たしました。4人の育児中は、新聞配達にスーパーのパート(魚売り場)をこなし、ひと段落したら看護師免許を取るため専門学校に通い出し、そのまま病院に就職。ちなみに、独身時代は保育士として働いてたらしい。いまは、膝を痛めてしまったので病院の受付(?)をしています。
(母が看護師を志した理由を聞いた時にはひどく感動しましたが、長くなるので今回は割愛します)
それにしても、働きすぎ。母のキャリアを振り返ってみると、「寝れるときに寝なさい」って教えの重みが変わってきました。
いつもは親しみを込めて「ばばあ」と呼んでいます。

 

次は姉兄編です。

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すごい画角の写真ですが、
左から、次男、長男、長女、3男(僕)です。
ちなみに年齢順で言うと、
長女(31?)→長男(30?)→次男(26)→3男(24)となります。
権力の関係図も、全く同じ構図となります。

 

基本みんないいやつなのですが、
あんまり書くことが無いのですごく簡単に紹介します。

◆長女
→優等生、看護師、ばばあ2号、子供出来て性格変わった、誰も逆らえない

◆長男
→いたずら坊主、クーラーを18度でかけて毛布に包まる高校時代、3男の前歯を頭突き折る、受験生の3男にカツカレーを奢ってくれた

◆次男
→漫画とゲームを貸してくれる、服がダサい、車に乗ると性格変わる、安全運転を心がけましょう

 

こんな感じです。

 

そして残る僕のことは、アイキャッチの為だけに作った気持ち悪い画像を使って説明します。

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※再掲※(何度見てもキモイ)

 

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1歳の僕ですね。
ほんとに愛くるしい。
それなのに家族は、

こんな愛くるしい生き物を、
少しエラが張ってるという理由で「ホームベース」って呼ぶんです。
嫉妬以外のなにものでもないですよね。人間ってほんと醜い生物だなあ。

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 5歳の僕です。
 なぜかすごく髪が長いのですが、理由は不明です。
それにしてもこの表情、絶妙ですね。
何を訴えているのかは分かりませんが、何やら怪しいビニール袋を持っています。
白いエスティマが懐かしさを際立たせています。
写真はどうやら、次男の小学校入学式のよう。

 

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そして、12歳の僕。世の中に絶望している顔をしています。
ネクタイもまともに締められなかった当時の僕は、入る部活に悩んでいた気がします。
この1年後に、天パなのに前髪を作り始め、陰で「ナス」と呼ばれていました。悪口にも関わらず、そのネーミングセンスに感心したのを覚えています。
振り返れば、人生で一番のコンプレックス時代。絶対に戻りたくない時代ですね。
写真をよく見ると、若干涙目です。完全に病んでますね。

 

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そんな少年が5年後にはこうなるのですから、
子供の成長は早いものですね。はい、17歳の僕です。
いろんな成功体験を積ませてもらった高校時代です。こんなに一つのことにひたむきに頑張ったのは、後にも先にもこの3年間だけの気がします。すごい執念で筋トレしてました。まさに、我武者羅。昔の自分から学べることは、存外多いようです。
ベンチプレス120kgだった私はこの顔でかなり調子に乗ってたので、クラスの女子と後輩からは嫌われていました、、、(自覚あり)

 

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一番キモい、20歳の僕です。
顔がむくんでいます。
前髪もキモいです。コンプレックスは、なかなか克服できないものです。
夏のインターンシップのために慌てて取った写真ですね。高かったので就活中もずっとこれを使ってました。明らかに自信満々です。その自信を今の自分に少し分けて欲しいですね。
当時は合気道をやっていて首がえらく太かったので、ワイシャツの第一ボタンが締まらず、フォトショで加工してもらいました。

 

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そして、入社直後22歳の僕です。
相変わらず顔はデカいですが、なんとか社会人になりました。
相変わらず、ネクタイは苦手なようです。
コンプレックスは、なかなか克服できないものです。
まだいろんなことを知らなかったので、顔に生気がありますね。肌色も健康的です。
これから短期間でいろんな挫折を味わうわけですが、ひとまず頑張れ自分。
うん。頑張れ。

 

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いろいろ終えて、いろいろ決めた頃の一枚。
24歳の僕です。
ねこのおかげで、今世紀最高の表情をしています。

この写真からも、いかにねこが偉大かということが分かりますね。
「ねこを助けたい」ということはよく言いますが、
「ねこへの感謝」はあまり人に話したことがありません。
今回説明を省いた小学生の頃、当時のねこと過ごす時間が長かったわけですが、
その時はそれが「当たり前」だったので、別になんとも思ってませんでした。
ただ、「当たり前」過ぎて彼女のことを「ねこ」としてではなく「家族の一人」として捉え始めていたようにも思います。

改めて感謝の念を抱くようになったのは、社会人になってからのことです。
中学時代の次に戻りたくない2018年の1~6月です。
文字にすればなんともないことですが、本当に辛くて、会社の誰にも本音を言えなくて、会社を辞めるという選択肢すら持てず、「早くぶっ倒れないかな」と日々願ってました。

そんな時期を越えられたのは、紛れもなくねこのおかげです。「ねこを助けるために、いま働いている」という目的意識が仕事にしがみ付く力をくれましたし、家に帰れば必ず疲れたメンタルを癒してくれました。(勝手に癒されてました)
僕が勝手にねこに恩義を感じてるだけですが、ねこを助けるつもりが、逆にねこに助けられる羽目になり、さらにその気持ちを強めることになっています。
きっとそれは、少しずつ形を変えながらも、変わらないものなんだと思います。

 

 

最後に、少しだけこれからの話を。

僕はいくつかの将来の夢を渡り歩いてきました。
「オーロラを見る」「鯨」「広告マン」「花屋さん」「ねこと幸せな生活を送る」
運動音痴な僕は、幼い頃でさえ「サッカー選手になる!」みたいなキラキラした夢を見ることすら許されなかった人種です。

ただ、将来の夢の数に制限はないので、いまでも夢は増え続けています。
あんまり人に話したことは無いのですが、「結婚式をあげる」こともその一つです。
ちょうど姉が結婚した2年前位に思いついた夢です。
お金もかかるし、友だちのみんなが来てくれる自信もないので、小規模でこじんまりとした式でいいのですが、唯一、家族写真だけは撮りたい。

だから、正しくは「結婚式を理由に家族写真を撮りたい」というのが将来の夢の一つです。不純な理由なだけに説明が大変なので、あまり話さないのですが、この場を借りて。

 

かなり長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

家族好きだな。

 

 

 

 

 

 

 

ってだけのブログでした。
※「家族」にはねこも含まれます

 

 

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(愛機 こっこ丸で用を足す3歳の僕)

 

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(映ってる食器が今でも使われている衝撃)