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家への帰り路に考えることのあれこれ。

"そういうもんだから" が苦手。

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子供の頃、1つの石を蹴って家まで蹴ってよく家まで帰ってた。
ある日、強く蹴りすぎて車にぶつけてしまったことがあったんだよね。

「やばい」と思った幼い僕は、一番手っ取り早く解決する「親に報告する」という手を使ったんだけど、
そんな僕の話を聞いて親は大層驚いてこう言った、
「そういうこと、普通の子は黙ってるんだけどね」
僕にとってはその一言の方がよっぽど驚きで、今でも鮮明に覚えてる。

 

もちろん今は、母の言うことがよく分かるけど、納得はしていない。
だって、悪いことをしてしまったら報告した方が気持ちいいもん。

 

だけど、いつしかそうすることが難しくなって、恥ずかしくなって、損することだと思い込んで、大人になっていく。

 

だから、大きな組織には "そういうもんだから" という空気が流れる。
当然、そんな空気は美味しくない。
今の会社のそういう側面も、好きじゃない。
(もちろん、そうでない側面のほうが大きい)

 

"そういうもん" にある種の反発をしてきた僕だから、
全力でねこを助けてるし、寝る間も惜しんでその活動の準備をしてる。
世の中に対して「なんで?なんで?」を繰り返しながら。
かなり独善的であると言えるし、社会的だとも言える。
おかげで良い意味でも悪い意味でも「変態」と呼ばれることが増えた。

 

全く同じ理由で、
平日毎日6:30〜8:00の間でフリーコーヒーも始めた。
まだ始めて間もないけど、色々と考えさせられることがある。

 

その詳細は、また今度話すね。



隣人愛せよアダムスミス

2月2日を終えて考えたOPTのValueについて

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約1年かけて制作したフリーペーパーと、
100人以上の人に支えられながら出来上がった屋台がローンチした2月2日。

いろいろなものが結実した1日を終えたときの感想は、

 

 

なんだ。こんなもんか。

 

 

という、達成感というより虚無感に近いような感覚。
今までアツく燃え上がっていたものが、熱量そのままに "平熱" になっていく感覚。

他の人がどう思うか知らないけど、
実は、僕にとってこれは、最高のコンディションといえる。
(セル編で精神と時の部屋から出てきた悟飯的な状態)
この状態になっていれば、今後もコンスタントに活動していける。
そう確信しています。

逆にここで、異様にワクワクしていたら危険信号。
一気に燃え尽きて、その後に急激なモチベーション低下に陥る前兆なので。

 

 

フリーペーパーと屋台について少し説明するね。

 

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▼ さとねこたより
"さとねこ"(里親さんの家族になった保護ねこ)のその後の暮らしを切り取ることで、
より多くの人に「ねことの暮らし」を身近に感じてもらうために作られたフリーペーパー。
編集長は、ねこ編集長こと "にゃ太郎"。
(近いうちに、さとねこたよりのクラウドファンディングをするので、
詰め込んでる想いなどは、その時に詳しく話すね)

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▼ NECO STAND
まちおこし型ねこ助け "ねこフェス" を行うために作られた、ねこの屋台。
普段は都内の公園でフリーコーヒーを行いながら、保護ねこ団体さんの広報支援や物販のお手伝いをしてる。
(詳しくはこっちを読んでみて)

 

 

 

さて、本題にいきましょう。

 

 

 

さらっと説明しちゃったけど、
この2つのプロジェクトを走らせるのは、それはもう大変で、
いろんなトラブルに見舞われたし、いろんな悲しい想いをさせてしまったし、
同じくらい悲しい想いをしてきた。

反省も後悔も達成感もピークを迎えた日、
思い浮かぶのはやっぱり、辛いときに助けてくれた仲間たちの顔と、この言葉。

 

 

 

込め。仲間を、顧客を、世の中を。

 

 

 

これは、いま僕が勤めている会社のValueに掲げられている中のワンフレーズ。
暗記してるわけじゃないけど、不思議と自然に思い出した。

この1年間、本当にいろんな人に支えられながら走ってきたし、
自分の凡庸さを一身に感じながら、もがきながら、駆け抜けた。
仲間を巻き込んで、先輩たちを顧客にしてきた。そしてこれから、世の中に羽ばたいていく。

 

ちなみにこの言葉は、こう続く。

 

・巻込め。仲間を、顧客を、世の中を。
・誰よりも先に動け。攻めの姿勢を忘れるな。
・つねに心をオープンに。意見の相違に怯えるな。
・プロフェッショナルとして、どこまでも粘れ。
・いかなる変化も、とことん楽しむ勇気を持て。
・「つくる」「生み出す」喜びを、力に変えろ。
・目標を持て。実現するためのビジョンを持て。
・最後は自分が突破する。それが、我々の仕事だ。

 

正直、いままでピンと来てなかったけど、
2月2日を終えた僕は、やっとこの言葉に実感を持ててる。
改めてよく読んでいると、一つ一つの言葉を自身の体験に投影出来て、
重たく刺さる感触がする。

特に、「最後は自分が突破する。それが、我々の仕事だ。」という言葉。
どんなに仲間を巻き込んだって、最後に責任を持って動かしていくのは自分。
その当事者意識と責任感、危機感への気付きは、
今後の自分にとって、すごく重要な学びだったと思う。

こんな何の才能もない僕が、
誰にでも自慢したくなるフリーペーパーを発刊できたのも、
立派過ぎる屋台を作って運転していくことが出来るのも、全部仲間のおかげ。
だから "自分は何も出来てない"
って悩む日もあったけど、いまは違う。

その中心にいたのは僕だし、言い出しっぺも尻ぬぐいも僕。
意見は交換し合うけど、最終決定や重い判断は自分しかできない。
これからもそうやって、自分の活動として続けていく。

だから、これからも仲間の協力が必要だし、
彼らに返せるものを大きくしていくのは僕の役目。
そのためなら苦労はいとわないし、
むしろそういうサイクルじゃないと今後はワークしていかないと思ってる。

この間誰かが言ってた、
「お互いに利用し合える関係が、一番いい」
という言葉をいまは理解できるから、
今後はもっと皆さんにとって、 "利用できる人"、いや、"利用したい人" という
立ち位置を目指していきます。

 

もちろんその際は、
"利用し合える関係" でいさせてくださいね。

 

それでは、これからもよろしくお願いします。

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小学生の頃の将来の夢は、鯨でした。

とあるトンネル

小学生の頃、映画「私は貝になりたい」を観たときに思いました。

 

「僕は鯨になりたいな」

 

足は遅く、頭がいいわけでもない。絵も描けないし音楽のセンスもゼロ。
僕は、人生というものにカケラも期待していなかった小学生でした。

そのくせ人間関係には敏感で、家に帰れば両親や兄弟の顔色を窺い、
学校では友達に嫌われまいと必死に生きてた。

 

だから、
何の悩みも無さそうで、敵も無く、優雅に海を泳ぐ鯨に憧れていました。

でもそんな夢は、鯨の子供がシャチに食べられちゃうNHKを見た時に
完全に冷めてしまったわけだけど、当時の僕を端的に表すエピソードとして気に入っています。

 

そんな僕は小さい頃によく、
漠然と、そして圧倒的に、世界というものが恐ろしくなることがありました。

この "圧倒的に" というのが結構トラウマで、
今でも熱を出したときは、
何かとてつもなく大きな球状ものもに押し潰される夢を見るんです。

その大きさに為す術もなく、
ただただ恐怖と苦しみを味わう夢なのですが、
原因も対策も考えたことがなく、
なんとなくその時の精神状況が不安定な時に見るものだと思ってます。

 

子供のころといえば僕は、
自分の周りに "知らない世界" が延々と拡がっていることがなんとなく分かっていて、
そのことが恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。
(先に紹介した悪夢は多分、これのせい)

当時は本気で、僕たちが生きているこの世界が虫籠のようなものでしかなく、
巨大な宇宙人が僕たちを地球で飼っているのだと思ってました。
(いまでも、その過程を否定しきれたわけではないが)

 そう考えると、
「大人」になった私は、"知らない世界" にひどく鈍感になった。
でも、それは僕だけじゃないはず。
きっとみんな、「大人になること」を勘違いして、
ただただ "知らない世界" に対して鈍感になり続けているだけなんだ。

だってそのほうがラクだし、楽しいし、気持ちが穏やかだもん。
だからみんな、"知っている世界" が中途半端に拡がって、
その世界を楽しむこと、維持することに一生懸命になっているだけなんだ。
いや、敢えて一生懸命になることで、
"知らない世界" の恐怖に気づかないふりをしてるだけなのかも。

 

ここまで考えて、一つのアイデアが頭に浮かぶ。
「そもそも私たちは、"知っているもの" しか知り得ないのではないか?」
だって、「僕」という存在は僕の経験値の集合体に過ぎなくて、
「その外のこと」は感知できない。
唯一、「その外のこと」を夢想することはできるが、
その夢想さえ、僕の経験から導き出される世界観に留まる。

この考えは全人類に共通して言えることだから、
全人類にとっての「その外のこと」は、誰にだって分からない。
「その外のこと」の存在を否定することさえ出来ない。
だって、「無い」ことの証明なんて、出来ないはずでしょ?

 

 

(これ、少し調べたら、カントの唱えたそれに近い考え方でした)

 

  

答えの無い問いを悶々と考えるバスタイムが好きな僕は、
この間ふと、自分の "小ささ" を思い出した。
そして、"知らない世界" の深さに改めて恐怖を覚えました。

 

だから、少しでもその恐怖を小さくするために、哲学を勉強してみようと思う。
まずはバカでも読める教科書を探さないとね。

"「夢」という仮説"を立てるということ

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「夢を持ちなさい」
と、髭の生えたおじさんは少し自慢げに言う。

 

「夢は、無理に見つけるものじゃないよ」
と、胡散臭い就活コンサルはニコニコと不気味に話す。

 

でも僕は、
「一旦、"夢"をつくろう」
と言いたい。

 

 

少し詳しく説明するね。

 

 

まず「夢」の条件は2つ。
①いまの自分に"ピタッと"来るものを選ぶ。
②いつでもその"夢"を変えていいということ。

 
イメージしていたものとは、ちょっと違うでしょ?

 

"ねこと幸せな生活を送る"
というのが、僕の将来の夢。
でもこれは、現時点での夢に過ぎない。
明日には、難民問題を解決するために立ち上がってるかもしれないし、
金の亡者になって「タワマンの最上階に住むために働いてる」なんて言ってるかもしれない。
※そんなことはまず無いのですが、理屈上そうとも言えるってことです。はい。

 

でも、それでいいんです。

その時の僕が、そう判断したのなら、それが正解なんです。

 

①の条件に関しては何となく理解できると思うので、
②の条件についてもう少し噛み砕きます。

 

「夢をコロコロ変えていい」
なんて言ったら、髭の生えたおじさんは顔を真っ赤にして怒るだろうね。
"夢は一生貫き、成し遂げるものだ"
って言われて育ってきたんだろうから、それも頷ける。

でも時代は平成。(それももう終わろうとしている)
出来ることが増えすぎて、やりたいことなんて1つに決めきれない時代。
だから、
"いまやりたいこと、やるべきだと思うことを全力でやり抜く"
それだけが、この時代を楽しく生きていくために必要なことなんじゃないかな。

であれば、やりたいことが変われば"夢"だって変わる。
当然の理屈でしょ?

 

少し視点を変えてみる。

 

「現状維持は衰退だ」なんて言われるけど、
そもそも人のキャリア形成において、"現状維持"なんてない。
つねに、
"いまいる環境で働く" or "新しい環境で働く"
の、平等な2択でしかないんですよ。

であれば、"夢"でも話は同じはず。
"いま歩いてきた道を進む" or "別の路を進む"
の平等な2択。
それしかないんです。

 

ここで、一つの疑問が浮かぶと思う。

 

あれ?そもそも夢って必要なんだっけ?

 

今日説明したいのはこれ。
"「夢」を持つ意味" についてみんなに分かってほしいんだよね。

詳しい説明に入る前に、思い出してほしい。

 

◆「夢」の条件
①いまの自分に"ピタッと"来るものを選ぶ。
②いつでもその"夢"を変えていいということ。

 

この条件を忘れてしまうと、
かなり窮屈な話になっちゃうからよく覚えておいて。

 

"夢"って本来は、
「自分の成し遂げたいこと」
って意味だから、それがコロコロ変わるとなると、
そもそも持つ意味が無いように感じる。

 

でもね、「夢」を持つことで、毎日が本当に豊かになるんだよ。
それはね、
全ての物事をジブンゴト化できる
からなんだ。

 

僕を例に説明するね。

 

僕の夢が、"ねこと幸せな生活を送る" ってことはもう知ってるよね?
そんな僕は、「なぜ動物に関わる仕事に就かないのか?」ともよく聞かれる。
でも僕は、その夢を叶えるために "ねこの広告代理店" を名乗ってる。 
今日の話ではこの肩書が鍵になるんだけど、
なぜ広告代理店なのか?ということに関しては、こちらを読んでね。

 

僕はいま、
"ねこと幸せな生活を送る" という夢を叶えるために、
"ねこの広告代理店" を名乗ってる。
でもそれは同時に、"料理人"と同じ立場だと思うんだよね。

自分で何か生み出せるわけじゃないけど、
集めたものを組み合わせて、何かを創り出す。

僕がイメージする「広告代理店」っていうのは、まさにこれ。
そうなるともちろん、"なにをどう集めるか" が大事になってくる。

そこで考えるわけ。
何が、ねこ助けに役立てられるだろうか?
って。

そして、いろんな人と出会ったりいろんな本を読むたびに考えるようになる。
これは、ねこ助けに役立てられるだろうか? 果たしてどう役立てる?
って。

 

これってまさに、ジブンゴト化だよね?

 

あらゆる物事に対して「自分に関係あるもの」だという前提で接する。
そうすることで、その物事を要素分解して、吸収しようとする癖がつく。
自然と接し方が丁寧になるし、いろんなことに感謝できるようになる。
だって、「自分に関係あるもの」を邪険に扱う人なんていないでしょ?笑

そのうえで「これは関係ある!」となれば、全力で口説く。
仲間になってもらうために。
もし「これは関係ない」となれば、接し方を考える。うん。そこは結構シビアにね。

 

ただ、ここで気を付けなきゃいけないのは、
あらゆることに対してジブンゴト化する目的は、
夢を叶えるためでは無いということ。

あくまで、
"あらゆる物事からの学びを最大化させること"
が目的であることは見失わないようにね。
だって、"夢はコロコロ変わる" ものだから(笑)

それに、そこで得た学びは「新しい夢」でも必ず役に立つからね。
知識をただの知識として覚えているわけではなく、
その中身までしっかり理解しているはずだから。
高校生の頃、英単語を丸暗記するより、文章と一緒のほうが覚えやすかったでしょ?
それと同じ原理だよ。

 

でもいきなり、
「あらゆる物事をジブンゴト化しろ」なんて言われても
難しいよね?

 

そんな時に「夢」が役に立つ。
「夢」の条件を思い出してみて。

 

「夢」の条件
①いまの自分に"ピタッと"来るものを選ぶ。
②いつでもその"夢"を変えていいということ。

 

この条件を満たしてる「夢」を基準にこう考えればいい。
「これを使って「夢」を叶えるとすれば、どうしたらいいのかな?」

 

ね?簡単でしょ? これが、"「夢」という仮説" ということ。
この仮説があれば、
親友からの急な誘いとかロクな会話もない飲み会に、
行くか行かないかの判断も簡単になるはずだよ。

彼女とデートに行ったとき、
君「何食べたい?」
彼女「なんでもいい~」

より、

君「何食べたい?」
彼女「パンケーキ!でも○○は甘いもの嫌いだよね...?」

のほうが会話を進めやすいのと同じ。(この場合はパンケーキが「仮設」になる)
「パンケーキもお肉も出してくれるカフェでも探すか~」
って考えられるでしょ?

 

よければ、毎日の参考にしてください。

 

とまぁ、2019年一発目の記事はこんな感じでどうでしょう。
このブログは全部本音で書いてますが、
こんな僕でよければ2019年も仲良くしてください。

 

では、世界で唯一愛してるねこでお別れ。

 

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ヒルなねこ

 

「跳」な今年は「愛」により。

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今年イチの笑顔 photo by こだまっち

メリークリスマスな時期も終わり、
忙しなくお正月ムードを迎えつつありますね。

 

2018年も相変わらずいろんなことがありました。
本当にいろんなことがありました。

 

 

そんな私の一年を一文字で表すと " 跳 " です。

 

 

屈(かが)むことが多かった上半期、
出会いが紡がれて、見事な跳躍が出来た下半期となりました。

下半期の跳躍の最たるものは、やはりNECO STAND。

まさに、たくさんの方からの「愛」を一身に受けることが出来たクラウドファンディングでした。

応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。(何度でも言いますよ)
皆さんが応援してくださったNECO STANDは、現在まさに製作中ですが、
完成後の活躍の場も着実に増えてきています。
楽しみにしていてください。(まだ言えないのが歯がゆい...)

 

そして今日は、
身も心もぶっ壊れた一年でしたが、今なんとか笑っていられることに感謝しつつ、
2018年のハイライトを振り返ろうと思います。(まだ若干治療中)

いざ書き始めたら止まらず、 
見たこともない長さの記事になっちゃいました。
最後に良いこと書いてあるので、そこまでは、かるぅ~く流し読みしてください。

 

-1月-

1枚目は、
埼玉県八潮市にあるねこひげハウスさんを取材させてもらった時の一枚。
23年間で一番ねこにモテた日でした(ぐふふ)

2枚目は、
 もとすみマニアックず。が主催する新年会での一枚。
この会に参加したことで、間違いなく人生が大きく変わりました。
この場を借りて、ありがとうございました。

 

-2月-

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1枚目は、
かなり緊張して参加した、90's Mash up #1 「くらす界隈 」。
いろんな出会いや再会があって、はたまた偶然にも新居が決まったイベントでした。
参加メンバーがとにかく刺激的なのと、ご飯がとにかく美味しい。
帰り路は、酔いもそこそこに、終始満腹で苦しかった記憶が色濃く残ってます。

2枚目は、
nest marcheの様子。(写真は10月開催時のもの)
池袋を歩いてると突如現れる一面の芝生。そこでは家族連れやカップルがピクニックしていました。その周りには屋台がたくさん並んでいて、ホットドックやアクセサリーが売ってたりして。
会社と自宅の往復だけをしていた当時の僕からすると、それはそれは魅力的な"別世界"でした。

 

-3月-

1枚目は、
大学の先輩に頼まれて、朝6時から花見の場所取りした時の1枚。
(被写体は、これでも後輩です)
頭のおかしい先輩に付き合ってくれる後輩は、何があっても可愛いな。

2枚目は、
ふとしたことから頻繁に通うことになったCAT PLAZA with NECO REPUBLICでの一枚。病院と併設されているふれあいスペースで過ごす時間は、格別に贅沢でお金を払っても通いたいくらい。

3枚目は、
友人の亘と、福島県田村市を訪れた時の一枚。何度もホームステイさせてもらってるおばあちゃんの作る、はんぺんカツは絶品。
何もしない1泊2日は、病みの底にいた当時の自分には大事な時間でした。

 

-4月-

会社で同期の小村が運営する『京とらむ -kyotram-』に参加。
叡山電車を貸し切って開催されるこのイベント。
生演奏に満ちた電車に揺られながら、着いた先でお茶とお菓子を嗜(たしな)む、
"京都"が詰まった時間でした。

いきいきしてる同期がまぶしくて、
泥沼を這いつくばってた自分とのギャップに嫉妬してたっけ。

今年はこのイベントに、chátとして出店予定。わくわく。

 

-5月-

全部、長崎県の五島に行った時の写真たち。
最っっっ高に楽しかった。 ※楽しすぎて長くなるから割愛。行けば分かるから、ほんとに。
必ずもう一回行くと言っておいて、まだ行けてない。
椿の咲く季節に行く予定なので、一緒に行く人募集します。
よく着てるさTは、五島にあるさんごさんという図書館の公式Tシャツ。

 

-6月-

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1枚目は、
病みがピークだったので、特に理由もなく実家に帰った日の一枚。
相変わらず口うるさい親だけど、
相変わらず子離れが出来てなくて、相変わらずねこが最優先で、愛おしい。

2枚目は、
珍しく趣味の合う会社の先輩と、ヨギーのライブへ。
小さな出来事でしたが、記憶は濃~く残ってる。

3枚目は、
クラウドファンディングを始めるきっかけになったイベントでの一枚。
小谷さんに負けないくらい太ってる、魚のシャツを着てるのメガネは僕です。

 

-7月-

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1枚目は、
CLASS ♯4「Pinterest tokyo」での1枚。
写真右上でおチャラけてるメガネとの出会いが、
これまた僕の人生を引っ掻き回すことに。でもそれは、また9月の話。

2枚目は、
ネコ市ネコ座@東京ドームシティでのスタッフ集合写真。
初めてスチール&SNS担当としてお手伝いしました。
終わった後、ある人に言われた「仕事に出来るよ。」って言葉が、どんなに嬉しかったか。

3枚目は、
my Japanの主催するCSCのロケハンでの一枚。
映像クリエイターの方々と触れ合えるこの時間は、
「広告マン」として貴重な時間で、いまだに学びの多いイベントです。

 

-8月-

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1枚目は、
こそこそと制作を進めている、
"ねこによる、ねこのためのフリーペーパー"のロゴです。
その名も、「さとねこたより」。NECO STANDと並ぶ一大プロジェクトです。

2枚目は、
いまだに関係の続く数少ない、大学の友人たち。
ノリとテンションだけで作ったTシャツを着てもらって、半ば強引に集合写真。
純粋な楽しさとくだらなさが後を引くメンツ。

3,4,5枚目は、
もうお馴染みの4人での四国旅行。
この人たちが本気で頼んで来たら、裸で渋谷を駆け抜けられる。

 

-9月-

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9月、事件が起きます。
犯人は、7月に出会ったあのメガネです。
見事に人生を変えられた、U29を対象とした宮崎ツアー KINAIYO
美しい景色と地元を知り尽くした住民によるガイド、
そして美味しいごはんと刺激しかない参加者たち。
ツーリズムには全然詳しくないですが、
"土地" "食" "人"の三拍子揃ったかけがえのないツアーでした。
きっと一生忘れないし、宮崎がこれからもずっと関わっていく土地になりました。

 

-10月-

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1,2枚目は、
夜空と交差する森の映画祭でスタッフを務めたときの写真。
関わって3年目の今年は、ステージで一番大きいメインステージのディレクターを任されました。
学生社会人問わず、アツく愉快なメンバーで
一つのステージを作り上げることが出来たことは、とっても濃い成功体験です。
激化する本業との狭間で何度か心が折れてました。

3,4枚目は、
これまた関わって3年目の地方創生イノベータープラットフォーム INSPIRE
業界のトップランナーたちがピッチプレゼンを行うこのイベント、関わるたびに成長痛が止まりません。
NECO STANDの構想も、このイベントでの気付きで大きく舵を切りました。
(プロジェクトスタートの2週間前でした...)

5枚目は、
4人中3人が10月生まれということで、
"サプライズのかけらもないバースデーパーティー"が開かれた時の一枚。
日曜なのに気兼ねなく酔っ払ったのは、最初で最後w

 

-11月-

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11月だっていろんな楽しいことがありましたが、
やっぱりこれに尽きます。

KINAIYOで弾みをつけて、INSPIREで閃きを得た僕でしたが、
悩んで悩んで悩みまくりながら、必死に作り上げたプロジェクトです。
仕事の後に、寝る間も惜しんで素材画像を作ったり、
いろんな人に頭下げたり、仕事が全然上手くいかなかったり。

その時のおかげで今があるとはいえ、出来ることなら二度とやりたくないですw
でもきっと、もう何度もやるんだと思います。
完全に、人を巻き込むことの虜になってしまっているので。
そして、深く深く内省をするよいキッカケになるのも確かです。

でもここで、NECO STANDについて語ることはしません。
きになる方はこちらからどうぞ。

 

-12月-

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1枚目は、
NECO STANDのリターン品の一つとして開催したストリーミングライブのフライヤー。
これも、3月に一緒に福島へ行った亘に協力してもらいました。
持つべきものは、友と楽器ですね。

2枚目は、
KINAIYOから1ヶ月ほどで宮崎に再訪したときのブログアイキャッチ
これまた、友人の尊さを再確認する旅でした。
あんなに歓迎されちゃ、また行かざるを得ないよねw

3枚目は、
僕の新しい名刺。
 chátっていうプラットフォームに、
"さとねこたより" と "NECO STAND" のロゴが乗ったお気に入り。
知り合いのデザイナーの子と、夜な夜な会議を繰り返した力作です。

 

 

さて、
ここまで読んでくれている人がいるのか分かりませんが、
続けます。

ご覧の通り、いろんな人と出会って、その出会いが化学反応を生んだ一年でした。

 

 

そこで気づいたことが一つ。

 

愛を向けられる人(ねこや物も含む)のためなら、
なんでもできる。

 

でも裏を返すと、
その先に愛せる人がいないと、辛いことを頑張れない。

こんなこと言うと、
いろんな所から「人としてどうなんだ」「社会不適合だ」とか言われそうですが、
お好きにしてください。
心からの本音なので。

でも、だから、
好きな人のためになれない時はすごく悔しい。
力が及ばない時、頑張り切れないときはすごく悲しい。

 

だから、2019年は、
目の前の人をする努力をする。
する人の力になれるように、さらに努力する。
今まで貰った「」をそっと返していく。そして周りにこそっとおすそ分けする。
そしてそして、強かに、せる人がいるフィールドに身も視線も移していく。

 

2019年の一文字は、"愛"

 

来年もどうぞよろしく。

2度目は、「宮崎だから」

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最初に宮崎を訪れた時は東京の友人のためであって、
別に宮崎じゃなくてもよかったんです。
でも2度目の今回は、間違いなく「宮崎だから」戻ってきました。
 
この旅行は理由も目的も「宮崎に行くこと」なので、宮崎に行くだけで目的は達成。
だから、この旅行を決めた時点では3日間の旅行のスケジュールは往復の飛行機だけという状況でした(笑)
 
さすがに困ったので、とりあえず自称 宮崎観光大使杉本恭佑(以下、きょーちゃん)に相談。
※最初に宮崎に来た理由は、彼。というかKINAIYOでした。

きょーちゃんは自称 宮崎観光大使のだけあって、
宮崎に関するwikipediaぐるなび価格.com、トリップアドバイザーとしての機能を搭載していて便利です。
※宮崎に関して何かお困りことがあれば、お繋ぎ致しますのでご連絡ください。
 
そんな感じで始まったこの旅行も、気付けば3日間友だちと会う予定でギッチギチ。
現地の友だちに、ご飯や配車、宿の手配(家に泊めてもらったり)はお世話になりっぱなしの旅行でした。
でも、その友だちのほとんどが会うのは2回目で、お互いのことあんまり知らない仲だったりするから、余計にオモシロい。
おかげで、「友だちってなんだろ?」って、
よく分からないことを旅行中ずっと考えてましたw
 
どうやら、日本の日向(ひなた)は人の心まで温かく育てるようです。
 
ということで、3日間のハイライトをどうぞ。

ねこと家族についての備忘録。

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「人間、暇だとロクなことをしない。」
それが口癖だった母は、もうかれこれ10年前のこと。 

長女が変な男と付き合ったり、長男がグレたり、次男がエッチなサイトの架空請求に本気でビビったり、そんな時代。
かくいう僕は、ロクでもないことすら出来なかった小学生だった気がします。 

 そんな母の口癖はやっぱり的を射ていたみたい。
だって末っ子3男の僕はいい年にもなって、3連休の予定が無くなった途端に、自分大好き人間にしか書けないこんなブログを書いているのだから。

でもきっと、「12」の僕はまだロクでもないことすら出来なかった中学生でもあったから、そのころと比べると少しはマシになったかな。

ということで、後半で少し僕の半生について振り返ります。

 

 

 

 

 

 

 

さて、本題です。

 

 

 

 

 

 

 

家族っていいですよね。

 

 

 

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(左から、次男→長男→三男、父→長女と甥→母@実家の居間)

 

クラウドファンディングを始めて、本当にいろんな人からの支えを感じたからこそ、改めて思うわけです。家族の尊さを。
別に特別仲が良いわけじゃないし、全員が揃うことなんてほとんどない。
この写真取った時(2年前)だって、7,8年ぶりくらいの全員集合。
それぞれの我が強くて全然話が合わないけどなんとか家族としてやってる、そんなメンバー。
「まともなやつ」が誰もいないので、母は家族のことを「アダムスファミリー」と呼びます。

 

それでも、お互いにいつもどこかで気に掛け合っていて、
両親は子供のことをいつも真剣に考えている。
いい加減に子離れして欲しいけど、親ってそんなものなんですかね。
少なくとも、僕はそういう親でいたいな。
(絶対に子供には嫌われるけど)

 

改めて家族について考えるようになった理由は明確。

NECO STANDのクラウドファンディングです。

もう説明した通りですが、普段はほとんど顔も合わせないし、正月だって全員揃わない。
でも、僕のクラウドファンディングを知って、
5人が5人とも、それぞれの形で応援してくれたんです。

本当に嬉しかった。家族が繋がったことも嬉しかったけど、そのきっかけがねこであったことが何よりも嬉しかった。

家族全員、僕と同じくらいのねこ好き。むしろ彼らのせいで僕はねこに人生を振り回されることになったというのが正しい。だから、いつもはバラバラな家族だけど、ねこのことに関しては、きっと同じことを感じるんです。

 

ここまで書いて初めて思ったのは、黛家の共通項の一つに「ねこ」があるということ。
逆に捉えると、「ねこ」は家族や生活、暮らし全般を構成する大きなファクターになり得るともいえる。家に早く帰る理由や休日を家で過ごす理由が、ねこだって良いわけです。

 

なるほど。いい気づきだな。


こうした何気ない発見が、次の活動に大切なヒントになる。
今回は、「ねこ×暮らし」という最近の僕のなかでの命題に迫る思いがけないヒントになったわけ。どうやら人間、暇でも少しは意味のあることを出来るらしいよ、お母さん。

 

 

雑な流れですが、そんな、遺伝子レベルで「ねこな家族」を簡単に説明させてください。
(なんか、説明したい気分なんです)

 

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はい。そうです。父です。
いや、お酒飲んでないです。
ええ、シラフです。
ZOZOスーツで、少しテンション上がってるだけです。平常運転です。
僕の陽気な部分は、多分父から濃く受け継ぎました。
女性との接し方も、父の背中を見て学びました。
父が地元のスーパーでレジに並ぶと、
おばちゃんたちが「休止中」のレジを瞬時に稼働させます。
そんな父は、19歳の頃に左腕を失いました。それから今までの40年間、右腕だけでなんでもやってきました。いまでは料理も裁縫も出来るんだから、やっぱり敵いません。
それでもやっぱり、写真では自然と左腕を隠してる。
理由を聞いたら、「見た人が嫌な気分になるだろ?」って。
なんとも言えなかったので、「ふーん」って生返事だけ返しておきました。
私が、右利きにも関わらず右腕に腕時計を着けているのは、そんな父への敬意を忘れないようにするためです。
(父はいつも右腕に、僕が高校生の頃に上げたスポーツウォッチを着けています 照)
 いつもは親しみを込めて「じじい」と呼んでいます。

 

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 母です。
眼鏡を取るともう少し目が大きいです。
これは、初任給を使って大きな花束を買った日の写真です。
母の日も近かったので一緒にしちゃいましたが、これでも親孝行のつもりです。
でも母はいつも「要らないよ~」と迷惑そうに言います。照れ隠しだと信じて、高校生の頃から節目の時には、プレゼントを贈り続けていました。
最近は、その分を甥っ子に回すと喜ぶので、そうしています。
大人になるまで、母のすごさには気づきませんでした。
身体障碍者の妻となり、4児の母として立派に役目を果たしました。4人の育児中は、新聞配達にスーパーのパート(魚売り場)をこなし、ひと段落したら看護師免許を取るため専門学校に通い出し、そのまま病院に就職。ちなみに、独身時代は保育士として働いてたらしい。いまは、膝を痛めてしまったので病院の受付(?)をしています。
(母が看護師を志した理由を聞いた時にはひどく感動しましたが、長くなるので今回は割愛します)
それにしても、働きすぎ。母のキャリアを振り返ってみると、「寝れるときに寝なさい」って教えの重みが変わってきました。
いつもは親しみを込めて「ばばあ」と呼んでいます。

 

次は姉兄編です。

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すごい画角の写真ですが、
左から、次男、長男、長女、3男(僕)です。
ちなみに年齢順で言うと、
長女(31?)→長男(30?)→次男(26)→3男(24)となります。
権力の関係図も、全く同じ構図となります。

 

基本みんないいやつなのですが、
あんまり書くことが無いのですごく簡単に紹介します。

◆長女
→優等生、看護師、ばばあ2号、子供出来て性格変わった、誰も逆らえない

◆長男
→いたずら坊主、クーラーを18度でかけて毛布に包まる高校時代、3男の前歯を頭突き折る、受験生の3男にカツカレーを奢ってくれた

◆次男
→漫画とゲームを貸してくれる、服がダサい、車に乗ると性格変わる、安全運転を心がけましょう

 

こんな感じです。

 

そして残る僕のことは、アイキャッチの為だけに作った気持ち悪い画像を使って説明します。

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※再掲※(何度見てもキモイ)

 

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1歳の僕ですね。
ほんとに愛くるしい。
それなのに家族は、

こんな愛くるしい生き物を、
少しエラが張ってるという理由で「ホームベース」って呼ぶんです。
嫉妬以外のなにものでもないですよね。人間ってほんと醜い生物だなあ。

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 5歳の僕です。
 なぜかすごく髪が長いのですが、理由は不明です。
それにしてもこの表情、絶妙ですね。
何を訴えているのかは分かりませんが、何やら怪しいビニール袋を持っています。
白いエスティマが懐かしさを際立たせています。
写真はどうやら、次男の小学校入学式のよう。

 

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そして、12歳の僕。世の中に絶望している顔をしています。
ネクタイもまともに締められなかった当時の僕は、入る部活に悩んでいた気がします。
この1年後に、天パなのに前髪を作り始め、陰で「ナス」と呼ばれていました。悪口にも関わらず、そのネーミングセンスに感心したのを覚えています。
振り返れば、人生で一番のコンプレックス時代。絶対に戻りたくない時代ですね。
写真をよく見ると、若干涙目です。完全に病んでますね。

 

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そんな少年が5年後にはこうなるのですから、
子供の成長は早いものですね。はい、17歳の僕です。
いろんな成功体験を積ませてもらった高校時代です。こんなに一つのことにひたむきに頑張ったのは、後にも先にもこの3年間だけの気がします。すごい執念で筋トレしてました。まさに、我武者羅。昔の自分から学べることは、存外多いようです。
ベンチプレス120kgだった私はこの顔でかなり調子に乗ってたので、クラスの女子と後輩からは嫌われていました、、、(自覚あり)

 

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一番キモい、20歳の僕です。
顔がむくんでいます。
前髪もキモいです。コンプレックスは、なかなか克服できないものです。
夏のインターンシップのために慌てて取った写真ですね。高かったので就活中もずっとこれを使ってました。明らかに自信満々です。その自信を今の自分に少し分けて欲しいですね。
当時は合気道をやっていて首がえらく太かったので、ワイシャツの第一ボタンが締まらず、フォトショで加工してもらいました。

 

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そして、入社直後22歳の僕です。
相変わらず顔はデカいですが、なんとか社会人になりました。
相変わらず、ネクタイは苦手なようです。
コンプレックスは、なかなか克服できないものです。
まだいろんなことを知らなかったので、顔に生気がありますね。肌色も健康的です。
これから短期間でいろんな挫折を味わうわけですが、ひとまず頑張れ自分。
うん。頑張れ。

 

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いろいろ終えて、いろいろ決めた頃の一枚。
24歳の僕です。
ねこのおかげで、今世紀最高の表情をしています。

この写真からも、いかにねこが偉大かということが分かりますね。
「ねこを助けたい」ということはよく言いますが、
「ねこへの感謝」はあまり人に話したことがありません。
今回説明を省いた小学生の頃、当時のねこと過ごす時間が長かったわけですが、
その時はそれが「当たり前」だったので、別になんとも思ってませんでした。
ただ、「当たり前」過ぎて彼女のことを「ねこ」としてではなく「家族の一人」として捉え始めていたようにも思います。

改めて感謝の念を抱くようになったのは、社会人になってからのことです。
中学時代の次に戻りたくない2018年の1~6月です。
文字にすればなんともないことですが、本当に辛くて、会社の誰にも本音を言えなくて、会社を辞めるという選択肢すら持てず、「早くぶっ倒れないかな」と日々願ってました。

そんな時期を越えられたのは、紛れもなくねこのおかげです。「ねこを助けるために、いま働いている」という目的意識が仕事にしがみ付く力をくれましたし、家に帰れば必ず疲れたメンタルを癒してくれました。(勝手に癒されてました)
僕が勝手にねこに恩義を感じてるだけですが、ねこを助けるつもりが、逆にねこに助けられる羽目になり、さらにその気持ちを強めることになっています。
きっとそれは、少しずつ形を変えながらも、変わらないものなんだと思います。

 

 

最後に、少しだけこれからの話を。

僕はいくつかの将来の夢を渡り歩いてきました。
「オーロラを見る」「鯨」「広告マン」「花屋さん」「ねこと幸せな生活を送る」
運動音痴な僕は、幼い頃でさえ「サッカー選手になる!」みたいなキラキラした夢を見ることすら許されなかった人種です。

ただ、将来の夢の数に制限はないので、いまでも夢は増え続けています。
あんまり人に話したことは無いのですが、「結婚式をあげる」こともその一つです。
ちょうど姉が結婚した2年前位に思いついた夢です。
お金もかかるし、友だちのみんなが来てくれる自信もないので、小規模でこじんまりとした式でいいのですが、唯一、家族写真だけは撮りたい。

だから、正しくは「結婚式を理由に家族写真を撮りたい」というのが将来の夢の一つです。不純な理由なだけに説明が大変なので、あまり話さないのですが、この場を借りて。

 

かなり長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

家族好きだな。

 

 

 

 

 

 

 

ってだけのブログでした。
※「家族」にはねこも含まれます

 

 

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(愛機 こっこ丸で用を足す3歳の僕)

 

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(映ってる食器が今でも使われている衝撃)